遅すぎた回想

 

今回のテーマで語るには「受験」がよろしいかと思います。

私の受験というのはまさに迷いと決断の欠如が起こした自爆でした。

三年ある高校生活の中で一年生から二年生になるまでずっと受験勉強を今のうちからやらなくてはいけないそう思っていましたがそれでいながら高校受験を終えたのだからもう勉強などしばらくやらなくたっていいじゃないか!こんなことずっとやっていてはせっかくの青春が台無しになってしまう!

そう思っているうちに何もせず何の生産にもならないようなやり方で遊び、怠け、少し学び…とやってそのサイクルすらも怠慢になりそのすべてが中途半端になっていき

もっと何かできたはずだという後悔だけが残って三年生になっていしまいました。

そうして迎えた三年ですからそれまでの後悔を怨念のように引きずりまた最初のうちはあれもこれも、とやろうとしたのですがそれでは単純な今までの焼き直し。

うまくいくはずがありませんそうしていく内にやろうとしていた計画、それまであった選択肢全てにおいて期限が過ぎ目の前しか見ていないし、見ることしかできないようになっていました。

そうすると今度はこれまでの後悔の怨念は夜な夜な枕元に現れる怨霊になって寝るその一瞬前までの時間に対しての反省と自責が始まりました。

正直当時からわかっていましたがその正体は所詮自らを罰することでそれまでの過ちを誰かに許してもらおうという浅はかな開き直り。

それまで言い訳にしてきたことやそれまで感じていたこのままいけば自分はどこへ向かい何者になってしまうのかという恐怖と苦悩に対しては一切解決に向かっていません。

当然そんな状態で思い通り行くわけはなく受験は辛うじて首の皮一枚でつながり

その後は私なりに何となくイメージしていた大学生のプロトタイプを必死になぞっていくことになりました。

と、いうことがあった今、思い返せばそもそもの始まりは私自身が思っていた将来の未来設計図を描くときに発生する現実と願望のジレンマにしっかりと向き合うことをせずに最初から願望を中途半端に諦め、諦観の中で現実を見ていたことにあります。

もしもっと早いうちから自分の本当の欲望を見つめそのために逃げ出さずに戦う覚悟が出来ていたらおそらくここまでの後悔はしていなかったことでしょう。

この受験でその自分との本当の闘いや対話を怠ったことを学び、大学では自分の望んだ先を今更ながらに考え、そのためにするべき決断をする。

そう決めました。失敗は起きてからでは遅い、起きる前に最善の準備をするものですがまだ何とかなるそんな言葉を迷わずに信じることにしてみたのです。

私は自らが抱えた将来の希望と迷いその両方が芽生えてから受け入れ、迷うことができるまでに人より多くの時間を有し、決断することも一つ一つに多量の時間をかけてしまいました。

ですから皆様にはどうか自分の中で迷いが生まれたときにはその本質とは何か向き合うことを推奨したいのです。私が人様に言えることなどありませんが一つの失敗談としてどうか聞くだけ聞いてやってほしいのです。

以上、私の迷いと決断、その両方を手に入れることが出来るまでのお話でした。